第三の波

第一の波 産業革命前は、再生可能エネルギ―

第二の波 産業革命後は、再生不可能エネルギ―(石油、石炭、天然ガス)

第一の波はそれまでの自然の利息で生きていくことであり、

第二の波は、自然の「元本」を使って生きていくことを意味する

 

家族形態も違っていた

第一の波は、おじ、おば、義理の子、孫、従妹などが1つ屋根の下に住み、

1つの生産単位となり、共同して働く多世代の大家族だった。

第二の波は、核家族でみんなばらばらになった

 

第一の波の経済的生産の場は、田畑

第二の波の経済的生産の場は、工場

第二の波で、子供の教育は学校に、老人の世話は老人ホームにへと専門化し

新しい社会が軌道性を要求するようになり、労働者は職業の

命じるままにとちから土地へ移動しなければならなくなった。

 

18世紀に、音楽が貴族文化から民主的文化になるにつれ

小さいサロンは大きい音量を要求する大きい音楽ホールに

地位を譲り、音楽ホールはますます巨大になった

楽器の音量を増やす技術はないから、要求される音をだすために楽器や

演奏家の数を増やすしかなかった。

その結果として現代のシンフォニーオーケストラができ

ベートーベン、シューベルトブラームスなどが大交響曲を書くようになた。

 

第一の波の世界では、家族や村の外への情報伝達はできず、

権力者の制約化におかれた。つまり遠距離コミュニケーションは

特権階級の武器だった

→今の世界の武器は情報の洪水の中から

価値ある情報をさぐりあてることができる力が武器となる時代

 

 

郵便システムとは、第二の波前半の情報伝搬手段と認識すべし